ホームセンターに一泡吹かす
楽天市場に出店し、ECを開始した大都だったが、当時、「卸問屋がネットで小売りをする」という“領空侵犯”に対して、多くの取引先が徹底抗戦の構えを見せた。中でも、ホームセンターからの攻撃が最も手厳しかったという。
2002年から出店している「楽天市場」の店舗「ホームセンターに商品を卸す立場の大都が、ホームセンターの客に直接商品を売るなんてとんでもない」――ホームセンターをはじめとした取引先の“攻撃”は止むことがなかった。「ルール違反だ」といって、メーカーに大都への商品供給を止めるように働きかけるホームセンターもあったという。
バッシングの矢は、大都の仕入れ先のメーカーからも飛んできた。メーカーから、「ホームセンターのチラシの値段よりも安く売らないでほしい」と要請されることもあった。
EC開始がきっかけで、大手メーカーA社との代理店契約も危機に瀕することになった。大都は、国内に数社しかないA社の代理店で、A社の商品は、大都の売り上げの大きな柱だった。
A社には、「代理店は小売りをしてはいけない」というルールがあり、ECを中止するよう強く要請されたのだ。ECを捨てるか、A社を捨てるか、難しい決断を迫られた。
山田氏はここで、当時まだ数千万円の売り上げしかなかったEC事業の将来性に賭け、A社の代理店を辞めるという決断をした。さらには、問屋業から全面撤退することまで決めてしまった。
山田氏は礼を尽くし、「代理店契約を解除したい」という決断を自ら伝えるため、A社の役員のもとを訪れた。「その時、A社の役員からなんて言われたと思う?『代理店になりたいという会社はこれまで何百社もあったが、代理店を降りたいといった会社は世界初だ。アホちゃうか』と言われたんだよ」と山田氏は笑う。
この決断が大きなチャンスを引き寄せることとなった。EC市場はその後活況を極め、数年後には卸時代の全盛期を上回る売り上げをECで上げられるようになった。「アホちゃうか」と言い放った、あの役員からは、しばらくして再会した際に、「あの時お前がやっていたことは正しかった」と言われたのだという。
山田氏は、「ECを開始した際に、問屋を辞めるという決断ができたことが大きかった。ECと問屋を両立すれば、仕入れ先や卸先のことも考えなければならず、絶対にバランスが取れなかっただろう」と話す。「問屋を辞め、メーカーとの関係を深めることにひたすら注力した。当時は、ライバルであるホームセンターに一泡吹かせてやるという気概が、EC成長の原動力になった」とも話す。